リーマンショックでトヨタが打撃を受けたときに、「トヨタ流の考え方は良いものであり、使い方が間違っていたのだ」と、トヨタ関係者がテレビでコメントされていたのを観ました。
そのとき、大きな違和感を覚えました。その違和感をずっと持ち続けていたところに、リコール問題が発生しました。
そこで、私がずっと持ち続けていた違和感について、改めて考えてみました。
トヨタ流の違和感
改善によって仕事の中にあるムダを徹底的に排除するトヨタ流の原理・原則は、確かに良さそうで当たり前のことのように見えます。しかし、当たり前に見えることほど疑う必要があるのではないでしょうか。
共産主義や軍国主義も、その当時はおそらく、原理・原則は良い物で、疑う余地がないと言われていたのではないでしょうか。
つまり、疑う余地がないほど良さそうなものは、単にそのとき、疑う知識や経験を持ち合わせていないだけで、実は人類史上最悪の考え方だったということさえあり得ると思うのです。
今の日本は、軍国主義時代のように言論の弾圧がないから大丈夫と考える人も居るかもしれませんが、自由に発言できれば恐ろしいことを起こすことはないと考えるのは、傲慢や慢心に繋がらないでしょうか。
ムダ取りの違和感
トヨタ生産方式には「利益=売価+原価」という式があり、「売価はお客様が決めるものだから、原価をムダ取りによって減らし、利益を増やす。」という考え方があります。
仕事を改善してムダ取りをするわけですが、ムダ取りは、その行為から得られる利益を最大にすることであり、会社の利益は、お客様には関係のないことです。
お客様に関係があるのは、高いお金を払ってでも買いたいと思う商品が提供されているかどうかであり、付加価値を創造することは、ムダ取りの中から発生しないように思います。
ところで、おいしい料理は贅沢の中から生まれます。そのため、フランス料理や懐石料理などは、ムダにお金を使える貴族社会があったからとも言われています。
ムダを取るだけでは、何も新しい物を創りだせません。ムダを取って利益を増やした後に、何をしたいかが問題のような気がします。
それでもやっぱり・・・
トヨタ流を否定したので、手のひらを返すようなことを言うことになってしまいますが、トヨタ流の考え方は、それほど悪くないように思っています。
トヨタの実際の現場を知らないので、現実に、本に書かれているようなトヨタ流の考え方で仕事ができているかどうかは別として、改善によって一つずつムダを減らして行く姿勢は悪くないと思っています。
そのうえで、悪くないと思いつつ、何かあるかもしれないという疑いを持ちながら考え方を受け入れることは必要だと思っています。
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